ありがとう、最後の白い700系新幹線 (2020年)
誰もが喜ぶ、速くてかっこいい、ジャパニーズシンカンセン。私も幼い頃から700系新幹線に憧れ日本の電車が好きになった。1964年に日本で走り出した東海道新幹線は世界初の高速鉄道であり、鉄道そのものの常識を覆したものである。
しかし、現代の日本ではなぜか日本国内での新幹線ネットワークを拡大しようとすると、色々と面倒くさいことが起きる。
これは1973年にできた「全国新幹線鉄道整備法」に基づいて、「整備新幹線」が次々と整備されていくものだ。しかし、これは単なる「ここに新幹線を通せ」だけでなく、「元々の幹線も何とかしろ」という決められたルールがある。なぜこうしなければならないのか。
日本の高速鉄道の特徴
まず、日本は欧州などと違って、在来線と新幹線が完全に分離されているのが大きな特徴である。日本の在来線の線路幅、地形にともなう線形、電化方式など制約のがあり、最高速度に限界がある。もっと速い列車を走らせるためには、やはり新しく整備された線路が必要だ。元から1435mm幅が主流の欧州は、高速鉄道を作った際に、都市区間では在来線と線路や駅を共有したり*1、郊外の一部区間は在来線の線形を改良する*2だけて、高速列車が走れる環境が整った。
とはいえ、新幹線を完全に独立させたことも、日本ならではの素晴らしい解決案である。日本の幹線は常に特急列車と通勤列車、そして貨物列車でパンパンな容量を抱えていたため、特急を新幹線に移行することで、在来線に余裕ができ、通勤電車が増発できるようになった。一部区間では通勤列車と特急列車の待ち合わせも解消され、通勤列車が速くなったことで、都市圏が拡大している。そして素晴らしい運行制御システムの開発により、新幹線も在来線も安全性と定時運行性を保ったまま、限界まで列車を増発でき、世界を驚かせる。
しかし、新幹線と在来線を分離したことによる相互効果は、あくまで整備新幹
線じゃない区間(東海道、山陽、盛岡までの東北新幹線など)でしか見られなかったようだ。
線じゃない区間(東海道、山陽、盛岡までの東北新幹線など)でしか見られなかったようだ。
改めて整備新幹線について言及すると、1973年の時点で、すでに開業または工事中の新幹線を除いた、夢の中で描かれた新幹線区間である。これらの区間は、新幹線が開業する以前では、都市間特急がそこそこ走っていたが、通勤電車はそこまで本数を必要としなかった区間であろう。(例えば、昼間はに1時間に1本のような区間)
全国の新幹線鉄道網の現状 より
日本の整備新幹線における「元々の幹線も何とかしろ」の部分は、具体的にその在来線区間をその地域の第三セクターに移管するとされている。これは新幹線が開業することで元々の幹線特急の収入が新幹線に流れていく形で、在来線の収入が大きく減っていったからだ。それで高い利益が見込まなかった在来線を第三セクターにした。あとは地域で頑張ってね、という国のやっつけであった。国がもっとうまく新幹線と在来線を連携すれば、新幹線開業で在来線特急時代より若干増えた利益を並行在来線にも回せたのではないかと思った。
この辺の話に関しては、日本の鉄道の民営化に問題があったじゃないかとも言えるが、後日、また別の記事にて考察したい。
ここで、新幹線と在来線を完全に分離したときの不利な点にお気きになっただろうか。それは建設に膨大な工事費がかかったことだ。先述のように、仮に新幹線での収益が在来線特急時代の収益より増加したとしても、新幹線の工事費の返済に使わざるを得なくなってしまったのだ。国が膨大な建設費の負担を減らすために、新幹線が通る地域の一部負担を求めているのだ。ここも2つ解釈ができて、一つは速くて便利な新幹線が開通することによって、地域が活発化し、2ー30年後に地域負担の部分の元が取れるかもしれない。もう一つは、新幹線は国が整備したインフラストラクチャーであるなら、地域に負担させることはおかしいことだ。
在来線特急と新幹線は共存できないか
結論から言ってしまえば、在来線特急と新幹線が共存できないのはおかしい。首都圏でも、東京から伊豆半島、草津温泉まで直通特急が今日も元気に走っている。東京ー熱海間や、上野ー高崎間は新幹線と丸被りしている。だったら新幹線で熱海や高崎まで乗って、そこで乗り換えればいいじゃない、と私はついつい考えてしまった。
ただ、東京の人も首都圏のから乗り換えなしで伊豆半島まで行けたらいいなと思って、時間を気にせずに、今日も踊り子に乗る。
北陸新幹線の場合、サンダーバードは富山県まで乗り入れなくなっている。新幹線が福井まで開通しない間は、富山から福井、富山から大阪まで1日に数本だけでもいいから、乗り換えなしで行ける列車があっても良かったのではないか。ここで鉄道会社もまた、富山までの路線が三セクに移管してしまったことを言い訳にしている。今度は北陸新幹線が敦賀まで延伸開業するが、ここても、名古屋と福井・金沢を結ぶ都市間特急しらさぎが、便利な列車にもかかわらず、同じ理由で区間が短縮されようとしている。
1973年に在来線を捨てろと言ったやつは、何を考えていたのだろう…
(これもまた日本の鉄道の民営化に問題があったという結論に収束する)
そして、整備新幹線の並行在来線区間の多くは、後期に電化された区間、つまり交流電化区間だ。当時の国鉄は交流の方が整備が簡単という理由で交流でさっさと電化したが、現代になって、交流車両の維持費が高いことを言い訳にして、一部の三セクでは内燃式気動車に戻すことにしている。これまで頑張って環境にやさしい電車で運行してきたものの、またディーゼルカーに戻して環境のことを知らんぷりして、なんだが納得いかないものだ。
ただ、その路線の1日分の電気を流すのに使う化石燃料が、本当に必要な分だけの列車運行に使う燃料より大きかったという証拠があれば、それは納得できるだろう。
環境問題を優先するか、金がないことを言い訳ににするか、どちらか現実的だろう。
九州新幹線開業で三セク化した肥薩おれんじ鉄道、全区間は貨物列車が通るため交流電化
されているが、普通列車が交流電車だと維持費が高いため、気動車になっている。電気は貨物列車および臨時で入るJR線の特急のみが使う。
西九州に新幹線が走り出す。
23日から走り出した西九州新幹線は、1973年に定められた整備新幹線のうち1番短い整備新幹線だ。当時の歴史をあまり知らない私からすると、今は博多から2時間で在来線特急で行けるような都市に、しかも長崎より先はもう線路は伸びないのに、なんでわざわざ国が新幹線を作れと命令していたのだろう。当時の長崎の権力者が強かっただろうか、それとも当時の長崎はすごく大きな都市だっただろうか。ここは博多までの時間短縮を求めるより、新幹線が博多までつながって、長崎から広島・大阪まで乗り換えなしで行けることを期待している人が多かったからだろうか。その利点に気づかなかった(そして建設費を払うのを面倒くさがった)佐賀はあまりそこに気づかなかっただろう…
ここまで延々と話したことを少し整理すると、新幹線の開通で時間短縮の効果があるが、一部の都市では今まであった都市間特急がなくなり、乗り換えが必要になってしまう。しかし人間は「多少乗り換えでもいいけど、早い方がいい」のと「乗り換えなしで行きたい」の2極に分かれている。むしろ両方を求める人もいる。だから、揉めている。
旅行オタクの僕からすると、時間短縮の効果を主張するということは、列車に乗る時間は無駄な時間なのか。車窓でゆっくり海を眺める時間は旅行の1ページに含まれるべきではないか。
そして、新幹線を作るのは誰が払うべきか、前の記事で言ったように私はよく金(主にマクロ経済)のことをよくわかっていないが、もし鉄道がインフラストラクチャーのひとつだとしたら、国が色々と地域に任せるのは何がおかしいのではないか。そしてなぜ、我々は新幹線を作る際に、50年前に書かれた古臭い整備法に従わなければならないだろうか。
新幹線の開通で、未来は明るい方向に向かうのか。日本は新幹線に頼りすぎたのではないか。
WORKETA
*2 この点に関しては僕も欧州に行ったことがないので、憶測で書いた部分がある。いつか欧州の鉄道に乗ってみたいね。
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