NEW!: 合理化は続くよ、どこまでも。
僕が2018年に東京から福岡に来て、ずっと昔からJR九州は個性的な列車が多いから、初めての九州はワクワクしながら九州の列車を楽しんだ。最寄りの路線を走る305系という電車も、東日本と同じドアチャイムといい、LCD案内といい、都会的で面白かった。個性豊かな特急電車も面白かった。
しかし、最近になってJR九州に対する不満が、耳を塞いでも周りからずっと流れてくる。
地元の鉄道ファンに囲まれている環境だけあって、みんなは地元の列車を嫌う傾向があるだけだろうか。
それより、SNSで鉄道会社に対する不満をつぶやくのは良いとして、単に「この会社がクソ」連発したガキのような人も散見syry。SNS上の一部の人は人もう大人だから、もっと大人らしく意見を発することはできないだろうか。
そんなわけで、僕はもうツイッターで鉄道会社に対する不満をつぶやくのをやめて、ブログで書くことにした。
では、論理的に「どうしてこうなったか」を考えてみよう。
まだ前回の記事をお読みになっていない方
経費削減とは…
まず、バスの運転士 兼 経営者の気持ちになってみよう…
ー 今日は誰も乗ってなかった。
ー 今日はまあまあ乗ったが、多少はゆったりできた。
ー そして今日は人が乗り切れないほど人がいっぱい乗っていた。
の3つのケースを考える。どっちがいちばん嬉野温泉ですか?
- お客さんが全然来ないと利益が全然出ない。それより。貴重な燃料が無駄、つまり運行エネルギーを無駄にしてしまっている。
- 人がいっぱい乗ってくれれば、その分儲かっているが、お客さんが満員バスに乗るとちょっと不快に感じることもある。運転士も乗降対応で時間がかかって疲れる。こうして運輸における収入、乗客の快適度、労働者の疲労度が需要供給曲線のようになっていて、平衡点をなんとか見つけていく。(前の記事で経済が嫌いと言っていたが、こういうものぐらいは分かっている…)
ここで、誰も乗っていない、運行エネルギーを無駄にしている電車(バスも同じ)について、あなたが経営者であればどうする?走らせたくないだろう。こうして減便という形で反映されていく。また人が増えれば増便・増車という形を取るだろう…
座席撤去の話:
鹿児島本線の主力の813系の乗降口周りの座席が取っ払われるが、これもお客さんの混雑度および態度によって反映された混雑対策のひとつだ。座席数がかなり減っていて、残念のように思えるが、良い話を言えば、何も混雑対策しない会社よりはマシなはずだ。
ご覧ください、これが岡山駅の22時の様子だ。2番線にあふれている人は、2番線の電車を待っているのではなく、1番線のその黄色い電車(4両編成)に乗ろうとしている列だ。まるで首都圏で見られたような光景だが。ここは岡山なので、次の電車が来るのは20分後、乗り切れなかった客はまたこのホームで次の電車を20分間待たされることになるのだ。
岡山の電車も、鹿児島本線の813系同様の転換クロスシートになっている。ゆったり座れるが、このような通勤ラッシュだと人がまったく通路の奥まで入れないため、詰め込み効果が悪かった。だから岡山のような何もラッシュ対策しないより少しでも対策している点では評価すべきところだ。でも減らしすぎたのはちょっとやり過ぎたかもしれない。
のちに岡山出身の後輩から、これ日常ですよと教えてもらった。なるほど…
数年後には岡山地区に227系が投入される予定だが、車端部がロングで、クロスシートも1列少なくなるので、今後の岡山地区の混雑緩和が期待できるかもしれない。あとは4両編成が3両編成に減車されないことを祈るばかりだ。
じゃ、混雑対策の最適解ってなんだろう。813系0番台を3両化したときに福北ゆたか線同様に中間車だけロングシートはダメだっただろうか。なぜ札幌近郊や、仙台近郊では813系とほぼ同じ時期にロングシート車両が導入されても誰も文句を言わなかったか。
でもよく思い出してください。鹿児島本線には、西鉄という最大のライバルがあるからだ。これまで西鉄電車と対抗するため、2000年代までの鹿児島本線の車両はできるだけ快適な転換クロスシートを採用したのではないかと思われ、当時はロングシートの415系1500番台があるから十分だと考えたかもしれない。(ここは九州に限らず、名古屋や近畿のルーツがあって九州にも広まったものだ。)
817系の椅子が硬い話:
強く異議を申す。日本の電車の椅子が柔らかすぎたからだ。一部の外国では、湿気の多い季節が長く、モケットシートは衛生面で不向きのため、プラスチック製椅子という選択肢しかなかった。またはいたずら防止でプラスチックシートにする事例もある。
それより、椅子に高い背もたれが付いている点については高く評価したい。209系など、1990年代の東京の電車は椅子が全面クッションに見せかけて、いざ座ってみたらめっちゃ硬くて跳ね返るのはもはや詐欺だろう。
また、車両デザインに重点を置きすぎて乗客の快適度を忘れる話もあるが、車両デザイン・設計の話はたくさん考察できるので、また別の記事で議論したい。
謎の技術 - AI自動放送など:
実はずっと数年前から色んな鉄道会社で合成放送が導入されており、主な目的としては車掌が喋ったあとに英語の部分だけiPadの合成放送を使うことが多い。
この合成放送は、ニーズに合わせて柔軟に内容を変えることができて、何より今まで無駄にでかい自動放送装置からタブレット1台に収まるのはかなり革命的ではないか。(実際に筑肥線では2021年の県知事選挙の期間中にずっと「選挙に行ってね」の啓発放送も流れた…)
英語の駅名部分が不自然という指摘もあるが、このソフトウェアは英語として正しい発音を読み上げているので、仕方がない部分もある。実際に日本語が分からない外国人も、"mae" を「マエ」ではなく、「メイ」と読んでしまうのだ。
ただし、放送の喋るスピードや空白が不自然な点については、人間の設定が下手だったと僕はいつも思っている。実際に流す前にちゃんと放送を聞いたのか。違和感に気づかなかったのか?
まあ、これらの問題をフィードバックして、開発者たちも頑張って改良していくだろう。ただし、僕がこの合成放送について何をガッカリしているかというと、この放送が導入される1年前に、長崎に導入され新車では、JR東日本同等クラスの自動放送が採用された。次に筑肥線にも同じ放送が導入され、とても都会的な電車になるかと思いきや、全然違うものになった。だから点だけはガッカリしている。
そして次に特急列車に広まっていき、いつものおばあちゃんの声が消えて、鉄道ファンから残念と怒りの声が飛び交った。しかし、同じおばあちゃんの声の放送を使い続けるわけにもいかない。ひょっとして、おばあちゃんはもう、声優の仕事をやめてしまったかもしれない。
まあ、この合成放送を開発した会社も頑張って売り込んだことも忘れないであげてくださいね。(ちなみに皆さんは嫌いな人間による自動放送はないのですか?よくワンマン列車やバスで聞く放送って、音質を悪くして誤魔化していると思っていません?)
JR九州をはじめとする謎の技術を導入している鉄道会社もたくさんあり、この点については今後、技術者の観点からまとめていきたい。本当はもっと評価されるべき技術もあったはずだが。
人員削減・人件費削減の話:
日本の全体人口が毎年減っている。これは様々な業界が直面している問題であって、我々も何かの対策を取らなければならない。JR各社も近年、駅の窓口の削減、ワンマン運転化が顕著になっているが、JR九州の酷いところは、それは代替措置が無いということだ。特に切符窓口は閉鎖、または営業時間を短縮している。
言われてみれば僕が前に住んでた南武線も、有人窓口がある駅は主要乗換駅のみで、他の駅には駅員がいるが、やることは改札対応や乗り越し精算と朝ラッシュ対応ぐらいだ。でも駅員がいなくても、券売機から指定席特急券が買えるから、特に困らなかった。年度初めに新しい通学定期券を買うときだけはちょっと並んだかもしれない。
しかしJR九州はこのような発券機を有人窓口の代替として設置しようとしないことは、全く謎であって、何を考えているのか全く分からない。
また、こちらは原田駅の列車案内表示器、駅員がいなくなるとどうやらこの案内表示も完全に消える。しかし、こういう案内表示システムは遠隔で操作することはできなかっただろうか。どう考えてもおかしい。
他の事業に力を入れすぎるのでは?:
これもよく聞くが、あなたたちが日本人である以上は、日本の鉄道は古来からいつもこんなズルいことをしていることを自覚していただきたい。特に都市圏の私鉄などはずっと昔から不動産に力を入れて鉄道を引っ張ってきた。日本の例を見て、もっと沿線土地を活用しようという海外の鉄道事業も絶賛したほどだった。だから、完全に資本主義の支配下にシフトしたJRも、こういうことをせざるを得なくなっている。
新幹線に頑張り過ぎた?:
国のやっつけの整備新幹線については前の記事をお読みください。
まとめ?:
ここまで延々と書いてきたことをまとめると、これまでユーザーに不便をかけてきたことがあるが、何かの理由があるだろうし、ユーザーの本当の利用状況を反映した結果もある。そして九州に限らず、他の地域でも同じようなことが起きている。
減便や人員削減いった政策は、無駄な支出を削るためだけでなく、本当に我々が直面している問題である、エネルギーの無駄づかいをなくしたい、人口が減っている問題の政策とも捉えられる。
ただし、減便で以前より列車に多くの乗客を詰めて、より収入を搾り取ろうとするのは確かにおかしい。
熱力学で学んだように、入力のエネルギーに対して、出力エネルギーの最大値は熱力学のからくりで、これ以上効率が上げられない限度が存在する。経済においても、投資した金に対して最大の利益を得ようとするが、お客さんの快適度などのパラメータによって、みんなが満足した最大の利益の限度があるのではないか。
やはり大人になると人間はお金という仮想の物を無限に欲しがって、利益と顧客のバランスの曲線を完全に忘れていただろうか…そしてなぜ、鉄道という基本ライフラインからたくさんのお金を搾り取ろうとするのだろうか。JR九州に対する不満の声が、JR九州の列車の総本数より上回るいま、なぜ国は何も指導しなかったのか。そもそも日本はもう鉄道は人間のライフラインとして考えなくなったのではないか。
こうして深く考えているうちに、僕はますます現代の経済を否定したくなった。
WORKETA
ไม่มีความคิดเห็น:
แสดงความคิดเห็น