続編?を書きました。
一番地味な鉄道会社が最適解だろうか ー鉄オタのわがままな心も加えて…ー
さて、今夜私が頂くのは、合理化の話です。
「産業界などで、慣習的運営をやめて、生産性を向上しようとして技術導入や設備投資、人員整理や労働強化などを行ない無駄を省くこと」が合理化の意味。
鉄道においても、発券機のほかに自動改札機がすでに普及しており、更なる合理化の例を言うとワンマンまたは無人運転化があげられる。
ワンマン運転が初めて導入されるのは都市の鉄道で、運転士が列車の操縦および客が乗り降りするためのドア開閉を行う。運転士も車掌代わりに仕事をやるなんて大変そうだが、都市鉄道のワンマン運転は自動運転システム*により、運転が補助されている。このシステム(特にATO)は各都市の地下鉄などで普及しているが、日本の場合だと混雑が激しい路線ではまだ車掌によるドア開閉と安全確認が必要で、混雑が少ない区間を中心にしかATOが普及しないように見えるが、いずれか普及するだろう。
もうひとつのワンマン運転方式は、よく田舎の普通列車で行うタイプのワンマン運転である。簡単に言うとバスと同じ方式で、係員のいない駅では後ろのドアで乗って整理券を取り、前のドアで運賃を精算して降りる。
しかしこの方式では運転を補助する装置はなく、運転士はいつもの運転に、運賃の精算も行う。一見大変そうに見えるが、運転士が運賃の精算を行うのは人の乗り降りがやや少ない無人駅で、有人駅では駅員がちゃんと精算を行うように使い分けている。このワンマン方式の利点としては、都市のような高度なワンマン運転装置が不要なため、整備費を最小限にして、駅を無人化することができ、人員削減ができる。最近このようなワンマン運転方式が拡大されるイメージはあるが、何十年前から採用されている方式だ。
最近はバス方式のワンマンだけでなく、実は全扉から乗降可能なワンマン運転方式も、最近増えている。(特に東日本の関東平野あたりの路線?)
こうしたワンマン運転の適用範囲が拡大していくなかで、こうした声が懸念されるようになる。
「田舎の無人駅で乗り降りが自由になったら、キセル乗車が増えるんじゃない。」「駅で乗車券は正しく買い求めくださいとポスターが貼ってあるけど、そもそも鉄道会社が運賃を収集する気がないからこれは矛盾しているんじゃない。」
確かにこれは合理化の結果のひとつではあるが、その前になぜ「キセル乗車」を前提として考えるだろうか。ちゃんとした料金を払ってから何かのサービスを受ける。そう従わなければ何かの罰を受けることになる。これは常識にあたる現代社会のルールである。でもなぜこうした考えを持って、鉄道会社が悪いみたいなことを言うのか。
電車に乗るならちゃんと運賃を払うことが正義だとすれば、鉄道会社は任意の駅や列車に対して、突然係員が乗車してきて、乗客全員分の乗車券を確認することができるはずで、乗車券を持っていない乗客に運賃を支払わせることも正義だ。無人駅でも、車掌が普段乗っていない列車でも、乗車券の確認が突然行われれば、乗客がそれに従うのも社会のルールだから。
しかし、時々、いわゆる鉄道オタクの人が、あれ?ワンマン列車なのにいきなり車掌が車内改札を始める、やりますねぇ。とよくつぶやく。それは鉄道会社が「やりますねぇ」ではなく、正義のために任意にできることだから、叩く必要は全くない。なにより、特に鉄道オタクが一番キセル乗車しようとしている傾向がある客層だ。これがもっとも矛盾したことにならないか?鉄道好きなのに、まったく鉄道に投資をしようとしないのは誠におかしいことだ。私が9年前に日本に来たばかりの頃は、日本人は社会のルールをきちんと守るイメージを持っていた。年々こうした考えを持つ人が多くなるのは非常に残念でほかならない。
まあ、結論で言ってしまえば、経済システムにおいて、人間っていちばん厄介な存在である。人間は仕事量を最小にして最大に収入を得たいと同時に、支出を極力最小限にしたい。だからみんな電車の運賃を払いたくない悪意がついつい走り出してしまう。私も人間なので、よくわかっている。(ご安心ください。この記事は人間が書いています。)
そして人員削減についての話だが、日本の人口は年々減少していて、この問題を解決するためにはこの方法しかないかもしれない。国も鉄道会社のワンマン運転技術の導入開発、特に運転士を要しないGoA2.5を積極的に支援しており、鉄道会社に限らず日本全体が直面している問題だ。しかしなぜ鉄道オタクはいつも人件費削減だクソだみたいなことをわがままに言うのだろう…減便もまったく同じ現象で、前の記事にも取り上げている。
まあオタクだから現実社会が分かっていないね…
それで、僕がいつも分かっていないのは、人間の数が減っているが、なぜ一人ひとりの所持金も減っているのだろうか。例えばケーキを10人で食べるときと、5人で食べるとき、当然お腹がいっぱいになるのは5人で食べるときだ。なんでだろう…
また、メンテナンスコスト削減もひとつの合理化である。
結局、合理化というのは人間が最小の入力で最大の出力を得ようとしている欲求から生まれたものであり、それの副産物として同時に労働者層の人間を始末にする。しかし、世の中は進化し続ける以上は合理化が止まることはない。実際に、合理化の限界というのは技術の科学的な限界である。しかし人間の欲求には限界がないため、人間が絶滅しない限りは合理化は続くよ、どこまでも。
WORKETA
*自動運転システムはいくつか分類されている。詳しくは色々勉強してみてください。ちなみにATOの適用はホームドアが必須条件ではないが、日本特有の課題としてホームドアを整備してからATOを適用することが多い。
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