23 ธ.ค. 2565

鉄道150周年を盛大に祝う:一番地味な鉄道会社が最適解だろうか -鉄オタのわがままな心も加えて-

地味な鉄道会社、つまらない路線と来たら、皆は何を思い浮かべますか。

個々の好き嫌いで答えが分かれるでしょう。

どうしてそう答えたか。具体的に考えてみると…

 ーどこに行っても同じ顔のやつしかいない。

 ー種別が少ない。各駅停車しかなくて遅い。

などなど、色々な理由があげられる。

同じ顔の電車しかないのは確かに地味だ。

でも、同じ種類の電車がたくさんあるからこそ、メンテナンスがしやすいと考えている現場の人たちもいる。

これも前回の記事で述べた「合理化」に違いないでしょう…

結局、一番地味な鉄道会社が一番いいのか。

技術の面、そして鉄オタの欲望にも触れつつ、考察していきたい。

求められる「モノ」

 鉄道車両に限らず、モノづくりの世界では、モノの「オリジナリティ」「汎用性」「生産性」「経済性」の様々な要素が求められている。汎用性といえば、色んな用途に合わせて使いこなせるのが理想でしょう。鉄道といえば様々な線区に対応できる走行性能はもちろん、客室空間の仕様(座席の配置など)も乗客に合わせることも大事である。

 しかし、これらの要素をすべてをこなすのは大変難しい。例えば、都市圏で複数の路線で新型車両を大量に投入したいときは、路線ごとに別の形式の電車を入れるべきか。そうすると新しい電車を2つ設計しなければならないことになり、「オリジナリティ」はあるものの、設計コストが上がり「生産性」が若干悪い。そのため、同じ形式の車両を導入して、ちょっと帯の色や座席の色を変えて、設計コストを抑える。

 現在の首都圏の顔であるE231・E233系も、まさにそれに該当する。いや、E233系なんかを議論する前に国鉄103系を取り上げるべきだ。同じ顔と同じ内装で、路線ごとに車両の色を変えてバリエーションを展開していくのは国鉄時代からのルーツだ。

2020年代になっても模型として人気がある103系 (Tomix より)

運用の都合で「多彩さ」が欠けた訳

 ところが、名古屋や京阪神の方に行くと、違う路線でも同じ色の電車ばかりを見かける。どの路線も同じ色の電車が走っている。

 それもそれで仕方がない理由がある。首都圏は路線ごとに担当車両区が違っていて、この車両区の電車はずっとその路線を走る。路線ごとの特徴も大きい。(特に両数が固定される場合)一方、京阪神では車両の運用範囲が大きい、または車両の転属頻度が多いため、なるべく車両の汎用性を重視したではないだろうか。

車両色のバリエーションは東海や西日本に期待すべきものではない。

 JR東海の313系関しては線区によって番台の細かい区別があるようだが、東海のオレンジを自慢するためにオレンジ以外を使わないという見解もあり得る。(一見つまらなさそうな313系だが、本当は番台区分が大変多く、それを楽しんでいる人もいる。ここに313系が好きな人が居たらすいません…)

 関西の新快速電車は、113系の西日本色と呼ばれる灰と青色の帯を伝承しているが、車両がステンレス製になると、暗めの車体に灰色の帯だと車両全体が暗いと感じてしまう。そして車両の汎用性を重視しすぎたせいで、どの車両も転換クロスシートになっており、新車投入は良いとして、この座席配置はその路線の需要に合わないと思っていることもいくつかある。

リニューアルによって「多彩さ」が欠けた訳

 余談ではあるが、神戸から18きっぷで山陽本線を下っていくと、姫路または相生を過ぎたところで国鉄型電車と出会う。しかし、ほとんどの車両は内装がリニューアルされ、座席柄もさっきまで乗っていた新快速と全く同じだった。なんだがつまらなくて、オリジナリティが欠けていて残念だ。大阪環状線の323系もよく作り込まれた電車だが、オールロングシートは従来車同様の単色の濃い緑色の座席、ここだけ古臭くてちょっと残念だった。そして顔も標準デザインで面白みが欠けていた。 まあ、濃い緑色モケットは昔から高級感を出していて、関西ならではの私鉄対抗のルーツがあるからかもしれない。

 こうして僕は延々とJR西日本に対する愚痴を吐き出した。でもJR西日本の吊革が太くて握りやすいのは個人的に好きである。

 そしてもう一度考えてみたい。例えば115系が223系に準じた内装にリニューアルされることの良い点と悪い点はなんだったのだろう…

 115系の独特な国鉄型の内装でなくなるため、昔ながらの雰囲気、車両のアイデンティティが失われる。一方、転換クロスおよび防音が強化されたことで、快適な車内空間をお客さんに提供できるようになった。

 実際に、海外の車両の例を見ていくと、欧州の車両は客室内空間を常に現代風に更新していくし、前照灯・尾灯も最新のLEDに更新していくのが一般的である。日本の場合だと、現存する115系を全部LEDライトに変えたら鉄道好きな人たちはもう二度と振り向くことは無さそうだ。

 でも、乗客に快適な車内空間を常に提供できるようにするためには車内をリフレッシュしていくのは当然だし、前照灯をLEDにすることで、乗務員の夜間目視性も大幅に向上したのは事実である。

英国のマーク3形客車、1970-80年代の客車だが、
内装は常に更新されて、古臭さを感じさせない。(2019年撮影)
(ただし内装はどうだろうが、車内にゴミ箱がいくつ付いているだろうが、
車内にはゴミが散らばっていた印象だった…海外ならでは…)

新車揃いは「つまらない」?


 僕もN700系新幹線を初めて見たときは、なんだこの気持ち悪い新幹線だと思っていた。そして数々の歴代の名新幹線がN700系によって追い出され、東海車と西日本車も、2013年にマイナーチェンジされたアドバンスも内装が統一され、N700系の好奇心はまったくなかった。ただ、年に数回新幹線を利用するようになると、N700系の乗り心地は先代の車両に比べて大きく上がったことは否めなかった。

 冒頭に話したように、地味な鉄道はどの電車も同じ顔をしているが、全て新型車両に統一される場合もそれに該当するはず。特に最近の鉄道好きな人々は古い車両を好む傾向が多く、古くから走った車両が退役すると大きく盛り上がっている。特に首都圏の鉄道は皆が予想している時期より車両が引退していくことが多く、その要因で新車が嫌い、つまらないと思っている鉄道好きな人が一定数いる。

 しかし、最近私はそれに動揺もしなった。なぜなら、私は機械の寿命の研究者になってしまったからだ。皆がよく勝手に想像する「電車の寿命は40年」などはあくまで目安である。なんだがこの電車は2-30年足らずで廃車になっちゃって可哀想に思うかもしれないが、それはその電車の寿命は設計当初から寿命が決まっている、または予想以上に過酷に走っていて、劣化が早くなっていることもある。そう、機械は作っている時点で目安の寿命が決まっていて、その寿命も年数ではなく、実際に走っている回数・キロ数によるものだ。そしてその寿命を左右させる要素もたくさんあって、

 また、物理的な要素だけでなく、経済的な要素も時々かかわっていて、例えば小田急1000系のリニューアル計画がある事情で新造車両の増備に切り替わり、小田急1000系の廃車ペースが急増した事例もあげられる。

 これらの話は、色々な機械の事情、経済の事情が分からないと、我々鉄道好きは完全に運営側を批判することはできない。あくまで自分の想像とわがままを走らせるだけであった。だから、こんな車両やあんな車両が引退しようが、それはちょうど良い年月が経っていると考えれば別に何も驚くことはない。人によって思い入れの強い車両だから、ちょっと寂しく感じることはあるが、永遠なるものなんて存在しない。むしろ古い車両を使い続けようとする鉄道会社こそ、問題があると考えるべきだ。


結局、何が言いたいかというと

_ 「つまらない」「地味」になったのは必ず何らかの理由が存在する。鉄道好きな我々は多彩さを求めがちだが、機械の事情と経済の事情を総合的に考えると、多彩さにも限度があるだろう。

_ 新車がつまらないと思いがちな我々だが、ぶっちゃけ国鉄からのルーツではないか。そして鉄道に限らず、現代の車やスマートフォンもみんな似た形をしている。それも同じことではないか。

_ 我々鉄道好きな人間は勝手に鉄道に対して期待しすぎて、期待外れのものを「つまらない」と見なしてしまっただけではないか。我々の存在はあくまで利用者のほんの一部に過ぎず、鉄道会社はすべての鉄道好きな人間の欲望なんて応えることができないのは当たり前である。

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