14 ก.ย. 2565

日本鉄道開業150周年を盛大に祝いたい。なぜなら200周年のときには何も無くなるだろう… (序)


2022年10月14日、日本の鉄道は開業150周年を迎えます。せっかくの節目ですから、皆で盛大にお祝いしましょう…

なぜなら200周年のときには何も残らなくなるでしょう。

なかなか怒りを満ちたぶっ飛んだ発言でしたが、ここ最近、日本の鉄道の嫌らしいニュースばかりですよね。

よく鉄道ファンの方もそれに対する意見や苦情をTwitterで発していました。

しかし、現代の日本の鉄道に対する不満を、Twitterという140文字に限られたプラットフォームで言い切れるものだろうか。その理由で、僕はあまり鉄道に対する不満をTwitterでつぶやかなかった。(リプ続きで伸ばすことは可能だが、延々とリプ続きじゃ気持ち悪い。) 

また、鉄道がいわゆる改悪の方向に向かっているのは、鉄道会社が悪いというより、何かの社会的な原因があると僕は思っている。単に「この鉄道会社がクソだ」という発言は、頭が空っぽな人の発言に過ぎなかった。大学で修士課程を通っている僕はもっと論理的な考え方を持っているはずだ。(ただし、運営がクソと言わざるを得ないような会社、鉄道会社に限らず一般的な会社というのは、世の中には存在するけどね)


そこで、ちょっと技術的な話をしよう。


そもそも、200年もずっと使われ続けられる技術はあるだろうか。

技術は進化し続けている。例えば携帯電話、テレコミュニケーションという目的は変わらず、コミュニケーションの方法(話す→文字を打つ)、機器の形が時代とともに変えていくのだ。

鉄道技術といえば、鉄車輪のくるまが敷かれた鉄レールの上に乗っかって走っているイメージが強いが、実際に何かの乗り物が決められた軌道に乗っかっていれば「鉄道」とされている。例えば、50年後に磁気浮上式鉄道の技術が普及すれば、東京都内の電車の大半が浮いて走るかもしれない。極端すぎる話をすると、どこでもドアが実用化されれば、乗り物なんてもう要らない。(君はドラえもんを観過ぎたんじゃないか?

そうなると、我々がいつも認識している「電車」は消えている。でも、鉄車輪と鉄レールが接する音が消えても、固定された軌道に乗っかっていれば、それは「鉄道」としての存在は消えないのだ。

しかし、日本の場合、先ほど述べた技術上の「鉄道」そのものが本当に無くなってしまうかもしれない大きな問題がある。

それを具体的に述べようよとすると非常に長くなるので、このブログで少しずつ取り上げたい。

私がよく聞く要因のひとつは経済的要因、つまり「お金がねぇ」ということだ。しかし私はエンジニアで、経済のことはあまり分かっていない。なので、この記事シリーズを書くにあたって、現代の経済システムを否定しつつ書いていくことになる。(みんな「お金がねぇ」って言ったら、「お金がある」ものはどこに居るんだ?保存則が成り立っていないのよね?この時点で私は金の流れを理解したくなくなる)

そんなわけで、具体的な問題を少しずつ取り上げ、日本の線路の先のことを考えていこう。


PART 1 : 日本は新幹線に頼り過ぎたのか ー西九州新幹線開業に寄せてー

PART 2:終わりなきトラブルへ、不満鉄道

PART 3 : 合理化は続くよ、どこまでも。
PART 4:一番地味が最適解か ー鉄オタのわがままな心も加えてー

INTRO : Will Japan Railways Lasts for 200 years? 

- Celebrating 150th Anniversary of Japan Railways (この記事を英語に書き直したもの)

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