これまでタイ国鉄の客車の基本を書いてきました。
この記事
そして今回は皆さんが待ちに待った日本から譲渡車両について解説していきたいと思いまーす。なお、この記事は2021年9月に一部内容が修正された。
おさらいしておくと、タイ国鉄に譲渡された車両は
96-97年 キハ58/28 キロ28も含む (山陰電化で余剰になった車両など)
97-99年 12系 ()
04年 14系座席車(岡山) 14系寝台車(宮原など) 24系
08年 14系・24系(宮原)
17年 14系(苗穂) いまだに放置されるかどこかで改造中…
最近譲渡された北海道(はまなす)の14/24系は放置または改造中で、運用されてないので取り上げません。08年と04年に譲渡された24系・14系を主に解説し、12系とキハ58/28はさっぱり解説していきます。はまなす以外は車両はすべてJR西日本から譲渡されたものになります。
先に参考資料を示しておきます。
鉄道ファン 2018年3月号 - 普段は鉄道ファンを購読していませんが、この号では14系・24系客車カタログ特集があり、とても詳しい情報が書かれているので購入することにしました。(やっとそれについてブログに取り上げるのは2年後の今ですが…)
この雑誌には、オハネ25 2両は九州所属の車両と書いてありますが、譲渡後の車番からオハネフ25の番号なので、何かの誤植ではないかと思われます。また、スハ25 301の譲渡後の車番と形式が間違っています。この辺はご了承ください。
ということで、以下譲渡車両に関する表を作成しました。(文字で書こうとしたが自分も苦労しました。皆さににも図で説明した方が分かりやすかったです。)
大まかに分類すると、キハ58グループ、12系グループ、14/24系グループになる。特別車等に改造される前までは、グループをまたがる連結はなかった。
大まかに分類すると、キハ58グループ、12系グループ、14/24系グループになる。特別車等に改造される前までは、グループをまたがる連結はなかった。
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12系は別の資料により譲渡された両数は28両である。オハ12・オハフ13・スハフ12の3形式が揃って、青色から従来のタイ国鉄客車と同じ色に変更され、近郊列車(Bangkok - Lop Buri / Rangsit - Hua Takhae 列車)の冷房3等車として運行。グラデーション塗装が廃止されるに伴い標準塗装になってしばらく運用に就いたが、冷房または電源車がよく故障して非冷房車として扱われることが多かった。2009年まで
キハ58系も1997年から譲渡され、運行開始当初は実は日本国鉄の塗装のままだったり、従来THNに挟まれて運行されることもあったらしい。非常に資料が乏しく、この記事ではまだ完全に説明できないし、僕も当時まだ生まれていなかった。唯一確認できるのはこちらも近郊列車(東線、Suphan Buri 支線など)に充当されたといわれている。その後は日本国鉄急行色からグラデーション塗装に変更された。
キハ58の不調
これまでタイに走っている多くの気動車は日本製であっても、タイ国鉄仕様と日本国内仕様には色々な違いが見られる。運転台が逆になっていたり、駆動装置が違ってたり、現場ではちょっと扱いにくい車両だったようだ。また、車両もすでに老朽化したうえで、当時のタイ国鉄のメンテナンスは最悪な状態で、まともな使い物にならなかった。(譲渡車に限らず新車も故障しまくって車両不足が続いた。)
この事情を受け、キハ58を客車化改造が始まった。しかしまたタイ国鉄の不況が続き、この計画は途中で凍結。多くの車両が放置されてしまった。数両は幸いに図書館列車に活躍されたり、職員の(レール上に動く)休憩室になる。
12系は別の資料により譲渡された両数は28両である。オハ12・オハフ13・スハフ12の3形式が揃って、青色から従来のタイ国鉄客車と同じ色に変更され、近郊列車(Bangkok - Lop Buri / Rangsit - Hua Takhae 列車)の冷房3等車として運行。グラデーション塗装が廃止されるに伴い標準塗装になってしばらく運用に就いたが、冷房または電源車がよく故障して非冷房車として扱われることが多かった。2009年まで
キハ58系も1997年から譲渡され、運行開始当初は実は日本国鉄の塗装のままだったり、従来THNに挟まれて運行されることもあったらしい。非常に資料が乏しく、この記事ではまだ完全に説明できないし、僕も当時まだ生まれていなかった。唯一確認できるのはこちらも近郊列車(東線、Suphan Buri 支線など)に充当されたといわれている。その後は日本国鉄急行色からグラデーション塗装に変更された。
キハ58の不調
これまでタイに走っている多くの気動車は日本製であっても、タイ国鉄仕様と日本国内仕様には色々な違いが見られる。運転台が逆になっていたり、駆動装置が違ってたり、現場ではちょっと扱いにくい車両だったようだ。また、車両もすでに老朽化したうえで、当時のタイ国鉄のメンテナンスは最悪な状態で、まともな使い物にならなかった。(譲渡車に限らず新車も故障しまくって車両不足が続いた。)
この事情を受け、キハ58を客車化改造が始まった。しかしまたタイ国鉄の不況が続き、この計画は途中で凍結。多くの車両が放置されてしまった。数両は幸いに図書館列車に活躍されたり、職員の(レール上に動く)休憩室になる。
14系・24系グループ。2004年と2008年に譲渡されたロット。
このロットはブルートレイン時代の面影が残された青一色塗装だが、元の青色より若干明るく、妻面のみ警戒色が塗られた。
冬季のPasak Jolasitダム臨時列車では、ブルートレインが豪快に10両以上連結された。
バンコク発着の日帰り旅行列車で、主にオハ14座席車がメインだったが、スハネフ15にしか電源が搭載されいないため、スハネフも連結された。そのほかは急行の増結として3-4両ほど増結されている。
2008年に14系・24系が追加譲渡された。2008年ロットの大きな特徴は、荷物室付きオハネフ25 300、オロネ25 300、パンタグラフ付きラウンジカースハ25 300 といった瀬戸・あさかぜ編成専用の客車が含まれている。ただし当初はオロネとラウンジカーは運用されなかった。ラウンジカーは元々全区間直流電化の電源車だったから、最初に「冷房付き電源車2番」として誤って付番された。(だってタイ国鉄は完全非電化…)
寝台車改番
2004年ロットは、寝台車の電源有無にかかわらず全車両100番台が付番された。追加譲渡によって生じた問題は、電源車の有無だけでなく、指定席発券に寝台数(30/32/34台)を考慮する必要があった。よって2004年ロットのスハネフが200番に改番。2008年ロットについては、オハネフ25に電源車を追設して230番、240番に付番。
特別車に改造
貸切車の記事を参照してください。
華々しいフル編成デビュー…
2011年からVIP貸切車と同時に14系・24系も紫色に塗装変更され、1等車であるオロネ25 300が初めて運用されて、寝台特急13/14レにブルートレインがフル編成を組んだ。また南東北線急行67/68レにも2-3両連結されていた。ただし1等車は予備車がない状態で運行されるので、よく代走が発生…2015年に見たときは、ステンレス寝台車とブルトレが半々になっていて、編成も相当短くなって、色々中途半端だったが、所々改造が見られたので、まだまだタイ国鉄はこの車両を大切にしていることが分かった。
また2012年に12系から車椅子リフト付きの座席2等車に10両改造され、急行や特急に連結された。2等車だが、座席はゆったり3列シートだ。(かなり乗り得)
種車はオハ12とオハフ13で、元々電源が搭載されないので、運用時は隣の冷房寝台車から電気を奪っている。
2016年に新型寝台車115両が運行開始に伴い、ながらくブルトレをいっぱい繋いだ13/14レも引退...それでも臨時列車や増結には時々姿を現す。しかし僕も滅多にタイに帰国しないので、どの列車に連結されるか把握できなかった。(急行51/52ㇾによく連結されると聞いた)
そして2017年頃には座席14系も紫色に塗装され、時々臨時列車に。
2019年に寝台車の集中電源式に変更することを受け、ここでまた凄い動きを見せてくれた。
そう、鉄くずになりかけたキロ28を台車や骨組みを再利用して、車体を新造して電源車を作った。(ここはまた別の記事を書くことにしたい。)
ひとつだけあまり気に入らなかったのが真っ赤な色配置、そして従来の車両と寸法、色の帯もまったく一致しなかった。
そして、JR-WESTの寝台車も、同じ真っ赤色に塗り替えられる...あまりにも衝撃すぎた色だったが、何よりタイ国鉄はブルートレインを大切に使ってくれているこのに感謝...
2021年追記:冒頭に12系と14/24系が混結することはないと書いたが、2007年頃に電源車が不足している関係で、スハフ12を寝台車の電源車として使われたらしい。これが当時のRotfaithai.comの記事です。
最後に...JR-WEST譲渡車はタイ国鉄にとっての待望か..
まず2000年代のタイ国鉄は、国の経済危機の影響や管理職が腐っていた。1990年代後半に導入された新車も譲渡車もしっかり整備できず。(幹線も線路状態が悪く、事故も頻繫に起きて車両不足が続いた。)もっともやらかしたのはキハ58と言っても過言ではないだろう…北海道のキハ183をもらう噂もあるが、キハ58のような二の舞いしか考えられない…(新型DEMUを導入する計画も進行中であるから、譲渡車はもう不要だと思っている…)
2010年代から豪華な貸切車や車椅子対応車に生まれ変わったり、寝台車もフル編成で運行開始されて、これは日本からの譲渡車がもっとも輝いた時代だろう…これからもまたリニューアルされて再デビューを期待したい…(ただその真っ赤な色配置に慣れるまでちょっと時間がかかるよね…しかも電源車と寝台車の帯の高さはすでにずれている…)
でも、これからタイ国鉄も成長し続けるために、日本の譲渡車をいつまで頼りにできるだろうか。いよいよタイ国内での鉄道車両の製造業を復活されるべきではないか…これからのタイ国鉄の成長を願いつつ、楽しみにしています…
WORKETA
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